ホール・美術館 解体工事に至る経緯


大阪・千里丘陵で開催された1970年日本万国博覧会(大阪万博)の跡地「万博記念公園」(吹田市)には、万博当時の建物が、多く残されていました。その中で、「万国博ホール」と旧「国立国際美術館」(万国博美術館)の建物は、2004年に解体することが発表され、2004年から2005年にかけて解体・撤去されました。

お祭り広場から、大屋根、ホール、美術館

万国博ホール、万国博美術館は、「お祭り広場」の後方にある印象的な三角形の対をなしたガラス張りの建物で、万国博ホールはコンサートホール、万国博美術館は「国立国際美術館」として、ほぼ当時のままの姿で、最近まで利用されていました。

しかし、コンクリートむき出しの建物は老朽化が激しく、予算の関係から耐震工事も行われていません。そのような事情の中、周辺に同様の施設がある万国博ホールは2003年6月に閉鎖、国立国際美術館も収蔵庫が手狭になり、交通が不便ということで、今年11月に大阪・中之島(大阪市北区)に移転オープンすることになり、1月で閉館していました。

平和のバラ園(北側)からの美術館・ホール

このとき解体されたのは、万国博ホール、美術館と、美術館横に設置され、建物だけ残されていた「三越食堂」です。2004年10月に工事が開始され、2005年3月に完了しました。跡地は「日本庭園前駐車場」として整備されました。

スイタウェブ 万国博ホール・美術館特集「GOOD BYE EXPO HALL AND MUSEUM」では、解体工事の状況を追跡するとともに、これまでの姿を紹介しました。