「偏差値30台」から医師を目指した意外なきっかけ | 医療・病院 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース


僕は30歳の時、ミャンマーという国にたった一人で行きました。お金、握りしめて。当時、軍事政権でした。1995年の話ですね。軍事政権かどうかも、行くまでよく知らなかったんです。

国際送金はできませんから、手持ちでお金は持って入らないといけない。次のお金が届くまで、誰かが肉体と一緒に持ち込まないといけないっていう、そんなところに。

僕は1965年生まれです。僕が生まれた頃って、第二次世界大戦終わって20年目じゃないですか。生まれる20年前には、日本って毎日、爆弾が降ってたんですね。大阪の吹田市っていうところで生まれたんですが、吹田市には毎日毎日、爆弾が降ってたわけです。

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