太陽の塔について ~万博・大阪・吹田のシンボル~


「太陽の塔」は、1970年に開催された日本万国博覧会(大阪万博)のテーマ「人類の進歩と調和」を紹介する政府出展のパビリオン「テーマ館」の一部としてつくられました。(実は、万博のシンボルとして、ではありません。)作者は岡本太郎氏(1911年-1996年)、「芸術は爆発だ」の名言を残した芸術家です。高さは65メートル(地上部分)、基底部分の直径は20メートル、腕の長さは25メートルあります。

太陽の塔(正面)

岡本太郎氏がこの「テーマ館」のプロデューサーを引き受けたとき、テーマ館の上部は、丹下健三氏の設計で高さ30メートル大屋根で覆う計画になっていました。しかし、工事現場を視察した岡本氏は「ベラボウなものを作る」として高さ70メートルの塔をつくることを決め、大屋根に穴を開けて、屋根から太陽の塔の顔がのぞくというものに計画が変更されました。丹下氏ら建築家は反対しましたが、結果として多くの人に受け入れられるものになりました。

太陽の塔の“顔”

塔にはいくつか顔があり、一番上にある金色の顔は「黄金の顔」、正面中央の顔は「太陽の顔」、背後は「黒い太陽の顔」と名づけられています。万博期間中は、地下(地底)に「地底の太陽の顔」もありましたが、終了後に撤去され、その後行方不明になっています。また、塔の地下部分も地上からは見えなくなっています。

太陽の顔
黒い太陽の顔

 

 

万博期間の太陽の塔

万博の開催期間中、塔の中に入ることができました。太陽の塔は、お祭り広場をおおっていた「大屋根」と一体に「テーマ館」となっており、内部には生命の進化を表現し、枝に恐竜やゴリラの模型が取り付けられた「生命の樹」が高さ約45メートルまで伸びていました。また、当時としては珍しかったエスカレーター4機とエレベーターが設置されており、上に上ることができて、手の部分から大屋根に出ることができました。なお、テーマ館で展示されていた展示品は現在、国立民族学博物館で保管されています。また、大屋根の一部はお祭り広場の低い位置に残されています。

太陽の塔(背面)

万博後の太陽の塔は?中には入れる?

万博のシンボルタワーとしてつくられた「エキスポタワー」は、2003年に解体・撤去されましたが、太陽の塔は1994年から1995年にかけて大規模な改修工事が行われ、永久に保存することになっています。改修工事は、日本万国博覧会記念協会が大阪高速鉄道(大阪モノレール)に敷地を車両基地のために一部売却して資金に余裕ができたため行われました。

万博終了後、大屋根が取り払われ、出入り口は作業用に残された地下の1ヶ所になり、消防法を満たす消火・非難設備が設置されていないことから、内部は一般公開されていません。しかし、内部は当時のままほとんど変わっていないようです。

ただ、最近になって内部を公開する機運が高まっています。2003年から2004年にかけて、管理する万博記念協会が万博記念機構へ改組したことを記念して、地下部分が特別公開されました。また、今後、改修工事を実施し、再度公開する予定になっています。

吹田のシンボルにとどまらない人気

太陽の塔は、万博を象徴する建物として現在でも強いインパクトがある建物ですが、吹田市や北摂地域、ひいては大阪のシンボル的な存在にもなっています。実際、吹田市のマンホールには太陽の塔が描かれていたり、大阪のガイドブックの表紙を飾ることもあります。

また最近は、漫画「20世紀少年」にモデルとなった塔が登場したり、変形ロボ「超合金太陽の塔」が発売されるなど、「万博当時の施設」とは違った形で人気が出ています。また、大阪府の有識者審議会が世界遺産登録を目指すべきとの答申を公表するなど、いま改めて太陽の塔が注目されています。

万博公園を訪れる海外からの旅行客も増えているようです。

太陽の塔

現在の太陽の塔

太陽の塔の目が光る?

万博開催中、太陽の塔の目は光っていました。正面最上部にある「黄金の顔」の目には投光器が取り付けられ、夜間に点灯されていました。万博終了後は機器故障や航空機への影響を考慮して点灯されることはありませんでしたが、2010年に機器を交換し、毎日点灯されるようになりました。

太陽の塔のライトアップ(2013年8月)

 

太陽の塔へのアクセス

太陽の塔は、万博公園の「自然文化園」の中にあります。大阪モノレール万博記念公園駅や万博公園中央駐車場から自然文化園へ向かい、中央口を入った目の前です。

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